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死よりも愛を選択する安室透さんについて

「名探偵コナン ゼロの執行人」を執行しました。映画ストーリーに沿って、感想・考察を書きます。もちろん、映画内容及び漫画本編のネタバレが含まれます。
また、以下では、作中での呼び方にならい、また、素性を隠して偽名で生活していることを尊重し、降谷零さんのことを”安室さん”とお呼びしますが、本来は本名である”降谷さん”とお呼びするべきであると考えています。決して”ゼロの兄ちゃん”と呼んではいけない。

RX-7ドライビングのシーン

今作のメインシーンである映画クライマックスでは、安室さんがRX-7を走らせるシーンにかなりの時間が割かれていて、彼のドライビングテクニック、狂気性が描かれている。
そもそも安室さん(バーボン)が原作で初めて名前が出てきたシーンでは、CIAの一員として黒の組織に潜伏しているキールは「情報収集及び観察力・洞察力に恐ろしく長けた探り屋」として、バーボンである安室さんの情報をFBIに流している。これはあくまでキールの分析にすぎないが、安室さんの公安としての能力に着目した特徴で、”探り屋”として紹介されている。しかし、格闘技術、運転技術、テニスの腕前など、警察学校を首席で卒業し、黒の組織でも一目置かれている行動能力を持っていることについて、言葉で説明するのではなく描写のみで伝えられている。

ところで、RX-7を時速180kmで走らせている時、電車に正面衝突する寸前の時が、映画中で安室さんの表情が一番豊かな瞬間である。それは”人殺しだ…”と言われてしまう彼の狂気性か、あるいは単にスリルのある場面を楽しんでいるかのようにも見える。

そもそも名探偵コナンは、愛する人のために最後の最後、一滴まで振り絞るというのが隠れたテーマになっている。安室さんは「愛の力は偉大だね」とコナンに話しかけていることが伏線にもなっているんだけど、蘭や和葉、英理を守るたなら通常以上の力を発揮し、死よりも愛を優先させる探偵の姿というのは、原作1巻めから常に描かれている。

では、安室さんの愛する人は…?というと、

「僕の…恋人は…この国さ…!」

とビルからRX-7で突っ込む直前のシーンで叫ぶように、安室さんは日本のことを愛していて、恋人のために最後の一滴まで振り絞ること、そしてそれが可能なので安室さんただ一人であること、しかも死と隣り合わせの行動をとる偉大なる愛の力で、あの表情を作っているのだと思う。

安室さんは”ゼロ”という言葉に強い執着を持っていて、原作では、子供が”3,2,1,ゼロー!”と叫んだことに反応してしまったこともきっかけとなって、コナンに公安の人間では…?と気づかれる。なので、同じシーンで「5,4,3,2,1,ゼロ!」というカウントダウンは、安室さんの心を奮い立たせる言葉であり、だからこそ安室さんは最後の「ゼロ!」だけ叫んでアクセルを踏んだのだと思う。

サブタイトル名について

歴代コナン映画のサブタイトルは全て「〇〇の△△」になっていて、今作でも「ゼロの執行人」というサブタイトルの名付け方法は踏襲している。
サブタイトルが指す意味は、初期の頃は事件のテーマを表すものが多くて、瞳の中の暗殺者、ベイカー街の亡霊…あたりは映画が扱う事件のテーマを表している。で、近年はメインとして扱う登場人物を表すサブタイトルが多くなってきていて、銀翼の奇術師を初めとして、漆黒の追跡者、11人目のストライカー…あたりの作品は、特に人物にフォーカスした映画になっている。

で、2018年のサブタイトルは「ゼロの執行人」で、これは当然安室さんのことを指している。公安のコードネームがゼロであること(本編ではコナンが安室さんの正体に気づく時に、ゼロというのは存在しない組織であれ、と付けられたコードネーム…日本の安全と秩序を維持する為に存在する…公安警察の俗称…という説明がなされている)、本名の降谷零(=0)、黒の組織に潜入するための偽名である安室透(安室さんはゼロという言葉に反応してしまった時に小五郎というかコナンに対して、透けているってことは何もないってことなので、子供の頃のあだ名はゼロだった、と嘘をついたことがある)と、名探偵コナンの作中では、ゼロという言葉は安室さんを連想させる言葉として使われている。

サブタイトルの「ゼロ」には2つの意味があると思っていて、
1つめは、「公安警察であること」。ゼロというのは存在しない組織であれ、とつけられた公安のコードネーム。2つめは、1つめの裏返しにもなるけど「犠牲者を出さないこと」。これは、福山雅治先生が映画製作チームに当てた手紙で書かれている”人間味溢れる彼の行動原理”に通じるものがあって、たとえ違法捜査を行ったとしても、犠牲者を出さずに捜査を行い犠牲者を”無” にすること。この結果として、恋人である日本を守ることができると安室さんは信じているのだと思う。福山雅治先生の映画主題歌「零-ZERO-」の歌詞では、ゼロについて”零””無”と2つの意味を持たせているけど、2つとも福山先生の解釈でいう”無”につながる意味である。
そして、ゼロの「捜査官」等ではなく、なぜ「執行人」という言葉が使われたのか。
映画中で安室さんは、公安による違法捜査によって犠牲を受ける人がいることを分かった上で、それよりも自分が信じた正義を遂行してしまう。そういう姿から、部下である風見さんは”人殺しだ…”とつぶやいてしまうんだけど。でも、例え毛利小五郎にあらぬ罪をきせたとしても、テロ事件を単なる爆発事故ではなく事件化させ、警視庁の捜査員が導入されることで、結果として数万人の命を救うことができる、それは結果としてこの日本を救うことになる、という信念のもとに安室さんは公安として秘密裏に捜査を行っている。過去には同様に他人にあらぬ罪(映画中では窃盗罪としていたが、そもそも電子データを盗むことは窃盗罪に該当しないので、建造物侵入罪や不正アクセス禁止法違反として構成すべきでは…?と考えていたが、羽場さんが日下部さんを守るために自ら何かの窃盗目的で侵入していたと自供したと思われる)を着せることで羽場さんを逮捕し、自殺させ(たということにし)てしまう。このような犠牲を伴う非情かつ残酷な捜査を行うことから、「捜査官」ではなく、死や犠牲、刑罰を暗示する言葉である「執行人」という単語が選ばれたと思われる。かつ「執行」するには相応の権限や実力が必要であることから、数十人の部下がいる公安内での権限を持った立場であること、運転・射撃技術があることが描かれている。もっとも、映画中では安室さんは”罪は自分でかたをつける”という発言をしていて、違法捜査を行ったことによる犠牲や影響を最小限に抑えるという行動原理があり、”人間味溢れる彼の行動原理”がみられる点にも、安室さんの公安警察としての信念がみられる。

映画の時間の流れ

映画の時間の流れは、おそらくこのようになっていて、

1日め(4/28):公安を狙ったテロ事件発生
2日め(4/29):毛利探偵事務所の捜索、小五郎逮捕、コナン・安室さん対面
3日め(4/30):小五郎送検、安室さん、風見さん、その他の人たちが自分の正義のために動く
4日め(5/01):サミット当日、公判前整理手続、不起訴確定、IoTテロ、NAZU不正アクセスにより人工衛星を落とす

たった4日間の出来事だし、そもそも4日めいろいろ詰め込みすぎ!分刻みのスケジュール! ということが分かる。

コナンと安室さん初対面のシーン

映画中でコナンは、小五郎が公務執行妨害罪で逮捕された直後、安室さんと初対面する。安室さんの顔を見た後「怪我してるね、安室さん」と話しかけてはいるが、わざわざ探偵事務所から喫茶ポアロに階段を降りて向かっていることから、すでに裏で安室さんが手を引いていること自体は確信しているんだと思う。
原作では、コナンと安室さんはコナン一派(阿笠博士、服部、灰原…)、公安警察として、共通の的である黒の組織と対峙しているが、「今回の安室さんは敵かもしれない…」と、公安警察の立場でありながら、コナンの敵である可能性を匂わせるのは初めてで、映画での複雑な公安の立場がここで示される。

小五郎のPCから証拠のデータが出てきたシーン

小五郎がテロ事件の犯人であるとして、探偵事務所から差し押さえられたPCから犯行現場の図面などのデータが出てきている。公安だったらこれくらいのことは可能だ…という話にはなっていたが、テロ事件の翌日にすでに違法な証拠を仕込むことは可能なのか?あむぴだとしても可能なのか?という疑問が浮かんだ人もいるかもしれない。
でも、これは安室さんなら可能で、原作の事件捜査中に自然な流れで「パスワードはどうされてます?」「俺は”小五郎さん”で5563だが…」という完璧に自然な流れで小五郎のPCのパスワードを聞き出し、かつ、探偵事務所のネットワークのハッキング、盗聴器の設置は既に行なっている。なので、テロ事件が発生した夜、既に、事件化して警察を動かすために傷だらけで証拠を仕込む行動していたことが分かる。恋人である日本のためならあらゆることをするという強い意思が、小五郎のPCからあっさり証拠を発見したシーンで見て取れる。

安室さんと検察庁、警視庁、裁判所との関係

映画では、安室さん含む警察庁公安部の捜査力、組織力、などから、実質警視庁や検察庁は安室さんの言いなりになっている描写になっている。
2日めに毛利探偵事務所の捜索差押えを行なっているが、捜索差押令状に基づき捜索をしていると思われる。令状はそもそも捜査機関の請求に基づいて裁判所が発布するもので、ここの描写はないけど、あまりにスムーズで迅速に捜索を行っていたことから、もしかしたら裁判所をも安室さんの言いなり…?ということを想像させるシーンだった。

エンディングシーン

エンディングシーンで英理と小五郎が喧嘩し、英理が作った料理を小五郎にぶちまけるシーンがある。これは決して英理が料理下手なわけではなくて、小学生時代に目玉焼きに何をかけるかで大喧嘩をするような二人なので、料理の味付けレベルの話だとは思うんだけど、
この時安室さんは、ポアロのサンドイッチ、サラダ、スープをすぐ持ってくる描写がある。すぐさま持ってくるのは盗聴器で聞いているからだとして、安室さんは普段はそういうことはしなくて、興味深い事件や話がある時に偶然を装って、話に参加するために持ってくる程度。しかし、このシーンは関係ないし、違法捜査にカタをつけるわけでもなく、単なる純粋な優しさで行動している超貴重なシーンで、降谷零自身の”人間味溢れる彼の行動原理”の優しさの部分が、エンディングシーン(しかもセリフなし)で最後に見られたシーンだった。

余談1…犯人の特定

これは安室さんには直接関係のない余談で、事件の真相部分の話だけど、コナンと安室さんがなぜ犯人が分かったのか、という話。
端的にいえば、犯人である日下部さんが、犯人でしか知り得ない情報を知っていたから。
作中では、検察の資料って犯罪の手引書みたいですよね!という示唆や、コナンが「なんだよ!圧力鍋かよ!」と叫ぶシーンがヒントにはなっているんだけど、
作中では、検察側証拠資料の中に、爆発の原因となった圧力鍋の欠片の写真が証拠として提出されていて、コナン(と携帯をハッキングされていたことを気づき映像を送っていた安室さん)が、これが事件と関係あるということは犯人しか知らないはずなのに…?と気づく。しかも、お互いに犯人が分かったことを確認するシーンや連絡を取り合うシーンがないのに、スケボー、RX-7で落ち合うところが、「悪い奴らの敵」「恐ろしい男」とお互いを尊重し合う信頼関係が現れている。
そもそも、公判前整理手続は起訴後の手続で、毛利さんは検察官に送致されただけで起訴されてない…?のになぜ…?と思って執行していたけど、検察官が裁判で炊飯器の写真を証拠としようとしていることを検察外の人間であるコナンと安室さんが知るためには、検察官が公判で証拠としようとしている資料をコナンが知る必要があって、そのためには公判前整理手続をかませる必要があった(もしくは公安が違法捜査で検察から裁判資料を盗むか…)ので、作中では検察警察などの関係に加えて刑事裁判の手続についても時間を割いていたのかな、と思っている。
ちなみに、携帯のプッシュ音が重要なキーになっているというのはコナンでは定石で、黒の組織のメールアドレスが童謡”七つの子”のメロディーに類似していることや(からす=黒を暗示)、コナンがHzレベルでの絶対音感を持っているので、プッシュ音が意味ありげに出てくるシーンがあれば注目して見ていただければと思う。

余談2…バーボンとラム

途中、黒田管理官が安室さんと電話しているようなシーンがある。このシーン、「ぬかるなよ、(バーボン)」と言っているように見える。ということは現時点での原作の流れを踏まえると、黒田管理官は組織のナンバーツーのラムで、かつ、安室さんとの関係性からすると、作中で出てきた”裏の理事官”ということになる。
ということはラムも黒の組織の裏切り者である公安の裏の理事官ということになるけど、映画で重要なネタバレするだろうか…?という疑問は残るので、この点は、まぁきっとバーボンって言ってるんちゃう?謎は深まる…くらいの軽い気持ちで楽しんで、映画も原作(バーボン編である60巻以降から読んでいただいて、興味を持てたら黒の組織の真相が明らかになりだす30巻くらいから、さらにできれば1巻から)も楽しんでいただいて、名探偵コナン約25年の歴史に触れていただければと思います。